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講演会H16
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日 時:平成21年8月31日
講 師:早稲田大学理工学術院教授 依田照彦氏


テーマ:「錦帯橋の保守・維持・管理について」

川面に写った錦帯橋

 

 早稲田大学の依田と申します。私の家内が関西出身なので、里帰りに毎年8月中旬に来ておりますので、関西は大変馴染みの深い地域でございます。本日は関西道路研究会60周年記念ということですが、私は35周年の記念誌を持っておりまして、大変大事に保管しております。関西道路研究会は日本中にその名前を轟かせた、大変素晴らしい活動をされてこられましたので、我々橋梁分野では貴重な存在であると思っています。その背景には、私が学生の頃、福本しゅうじ先生の文献を読んで感動を致しましたし、その後、渡邊英一先生、北田俊行先生の本や論文を読んで、感動を致しました。やはり論文を読んで感動できるということは、大変良い時代であったことと思います。それだけに素晴らしい方が、関西、日本中に大勢おられた。私の役目としては、このように素晴らしい方々が大勢おられるので、できれば後輩にもこうした方々が出てくるような日本を創りたい。今日の話しは道路橋そのものとは直接関係ありませんが、どこかでお役に立てるのではないか。私自身はどうも力がないため、錦帯橋をコンピューターで研究してもよく分からないのです。残念ながら最新のコンピューターを使っても、錦帯橋は分からない。鉄やコンクリートに比べて、木は生き物のようです。もしかすると大工の棟梁のほうがずっとモノを造る点で優れているかもしれません。あるいは、江戸時代の方は力学がないのにこのようなものが造れた。もしかすると我々はコンピューターに頼りすぎているのではないか、という気がします。目で見てモノを感じるようにしないと、これからは良いモノが造れないし、あるいは、古くなって維持管理を行うときに見落としがおきるのではないかと思います。今日はお話をしませんが、ミネソタの橋梁崩落事故も詳細に検討致しますと、全ての時点で助けることができる瞬間があったと、私は思っています。残念ながらその時期を、色々なことで見つけられなかったということが苦しいことでした。我々は日本でもそうした事故が起きるのではないか、優れた技術者が大勢おられてもたまたま見なければ、その時点で見落としがあるということも考えられます。今日の講演は、錦帯橋という歩道橋なのですが、どのようなところに素晴らしさがあるか、そしてその素晴らしさが現在でも活かせるのではないかというお話をさせていただきたいと思います。
   江戸時代の錦帯橋で、写真がありませんので、少し誇張をしていると思います。今日の講演は、錦帯橋の創建からはじまりまして、錦帯橋の流失、昭和の錦帯橋、高校生参加の強度試験、平成の架け替え、平成の錦帯橋という一連の流れの中で、橋梁をどのように見て、どのように考えれば良いかというところに焦点を当てたいと思います。山口県岩国市は広島県大竹市からすぐのところにあります。小物材を集めると2万点を超える部材から錦帯橋はできています。「なぜ部材数が多いと地震に強いか」という研究が世界中で検討されていますが、まだ分かっていません。静定と不静定という区別はありますが、部材が増えてくると、何故、地震時に強いのか。錦帯橋はこれまで幾度も地震を受けていますが、全く問題がありません。私はその理由がこの2万点の部材がそれぞれ互いに力を分散させるような組み合わせになっていることだと考えています。橋や建物の部材数を多くして、且つ、人間、生物と同じように引張材、圧縮材といった機能を単純化した部材を増やしますと、リダンダンシーがあがることが経験的に知られています。世界中誰も造ったことがないので、もしかすると交番応力を無くすような部材のみに
して、部材数を増やすというのは、地震時に対して強い構造物を造れる可能性があります。経験的に誰も否定ができないし、証明もできませんが、錦帯橋はその一つのモデルであります。名勝と言われる木の橋は、猿橋と錦帯橋のみです。こちら(猿橋)は鋼で補強をしていますので、錦帯橋とは少し違っています。錦帯橋の上部構造は、創建時のままです。他に日光の神橋、愛本橋は現存しませんが、このような有名な橋があります。錦帯橋創建が1673年、それ以前の1634年に創建された眼鏡橋があるので、当時の棟梁はこれを見に行ったと思います。アーチにすると丈夫そうであると中国人技術者から聞いたということを確認しております。ただ、岩国で眼鏡橋と同じものがつくれるかは悩んだと思います。これが川面に映った錦帯橋の写真です。
   完成後の形状がアーチ形状、カテナリー曲線を含んでおります。カテナリー曲線をつかったのはあとの時代で、ニュートン力学が出来る前ですから、当然カテナリーという形の定義はないと思います。江戸時代の測量術でカテナリー曲線は描けません。どのようなことが起きたかと言いますと、最初に造ったときは間違いなく円に近い形で、円の一部をとってきたと思います。私の予測ですが、初代はカテナリー曲線ではなく、二代、三代と続くうちに形が変わっていったのではないかと思います。ご承知の通り、カテナリーはくさりを吊しますとぴんと張るだけの引張部材で力を伝えていきます。ひっくり返せば、全て圧縮部材です。木のように互いに接合しないで、力を伝えていくためには、石橋とは違って摩擦力がうまく使えないので、圧縮力を活かすしかない。経験的にカテナリーにするとうまくいくということだったと思います。石橋ははじめの形より多少動きますが、錦帯橋のすごいところは、円形で造って、カテナリー形状で終わる。そのために、何があったかというと、木の材料を場所により変えています。我々の言う、適材適所です。中央の3つのアーチに3種類の木を使っています。理由は、カテナリーにしたいためだと思います。証拠はありませんが、桁はどうも初代は全て松であったと私は推測しています。しかし松だけではうまくいかなかった。それでケヤキを使い始めたと、解析の結果でも、そのように理解できます。棟梁に聞いてもおかしくないとのご意見をいただいています。アーチでカテナリーを使ったところが、すごい点だと思います。歴史を振り返りますと、1600年に関ヶ原の戦いで、毛利方についたため岩国の地に移封され、1639年ぐらいにこの地に木橋を建設したという記述があります。ご承知の通り、錦川は大雨が降ると洪水が起きるような急流の河川であります。この時代には猿橋があり、多分、錦帯橋を造る前に見学に行っていたと思います。1673年に、城門橋ということで錦帯橋が創建されました。1615年、一国一城令で造った城を壊され、その石垣を使い、城門橋を造ることにより無念を晴らしたというように理解していました。この橋は創建の翌年にすぐ流れてしまいました。これは橋脚のせいで、上部構造は全く問題がありませんでした。1674年に架け替えて、補修のための費用を領内の武士から庶民に至るまで全階級から徴収しました。そして、橋守の設置があります。今も昔も橋を守る人がいることが大事だと思います。それは、一般の方でも、専門家でも良い。やはり人が大事です。最初に桁橋が出来た時の文章が残っていまして、橋が損傷すると即時に修理をすること。もちろん、予防保全が一番ですが、今の錦帯橋もそうしています。毎日のように、人が渡って点検をして、掃除をする。定期的に大工さんが補修をしています。錦帯橋は大変愛されている。そして、橋の下で火を焚いてはならない。日本で道路橋に木橋が使えない、大きな理由です。そして、橋柱には舟を一切繋がせてはならない。東京の小さな川で見られますが、トラス橋に重いものを繋いでいる人がいます。全く力学が分からない人には、トラスが力を伝えていることをなかなか理解してもらえない。いずれにしましても、錦帯橋が建設された時代にはいくつか桁橋を造っていますが、洪水の度に流されてしまっています。流された後に工夫されたのが、この「千切」という部材で、石と石のずれ止めという風に考えて頂ければと思います。これと同じようなものが、ローマの石積みにもあり、地震でもよく機能していた。ローマ時代にもこのようなことを考え、必ずしも力学が存在しない時代でも工夫したところではないかと思います。維持管理の点では、1678年に税金を恒常的に徴収するようにした。そうすると10年毎に橋の架け替えが可能になる。この精神は、今日まで、岩国錦帯橋では続いています。おそらく、維持管理にはこのような方針が良いのではないかと思います。実際には架け替えは約20年毎。木を使っていますので、100年はなかなか保ちません。橋板については人が歩きますので、すりへり等傷みやすく約15年毎の取替えです。現実には、物価の変動や財政の逼迫により十分な修理や架け替えが困難になる時代もありました。そこで、架け替え時には古材を利用しています。これは伊勢神宮でも同じことだったと思います。鋼橋ですと、これまでも鉄道橋などが色々なところに転用され、使われています。もしかすると、古い、今後使わないような橋についても一部、使えるところは使うという発想があってもよいと思います。例えば、道路橋を歩道橋で使うといった例も出て来るような気がします。少なくとも錦帯橋の場合には、今後も再利用を考えています。そして保存会による維持管理です。木の橋ですので掃除が大変です。今は、ボランティアで岩国市の方が行っておられます。架け替えが定期的に行われて、1922年に錦帯橋は名勝に指定されました。まだ、重要文化財にはなっていません。そして、「この錦帯橋を世界遺産にしよう」と10年計画で考えています。木橋で世界遺産は1つもありません。そのための活動をしているところです。1950年の9月14日にキジア台風で流れてしまったのですが、錦帯橋を世界遺産にするにあたっての最大の問題は、木が長持ちしないと言われることで、1000年保つことがないことです。頻繁に架け替えが行われていることが委員会で指摘されている点です。3番目の面白い話しとしては、9月14日に流失しましたが、9月30日に観光地百選切手シリーズにおいて、建造物部門で錦帯橋が1位となったことです。この時には、流出してないものが1位となることはおかしいと日本中で物議を醸したようです。1位の取り消しという意見がありました。原型復旧とすべきかどうかで大議論になりました。ところが、岩国市の方々は是非とも昔の形に戻して欲しい。その代わり、橋脚は流れてしまったので基礎にはRCケーソンを用いて原型に戻すという案が通り、今日を迎えた訳です。そして、1953年に昭和の錦帯橋が完成しました。この頃、早稲田大学には橋梁の先生として、本州四国連絡橋の最初の調査に携わった青木楠男先生がおられました。建築学科には岩国市の名誉市民である佐藤武夫先生。そのお二人の先生の指導のもとに、昭和の錦帯橋が完成しました。写真を見て頂くと、部材数が多いということが分かると思います。ライズとスパンの比をもとに、曲げ応力の成分と軸方向応力の成分を比較しますと軸方向応力の成分が卓越しています。カテナリーを意識されていることがこのようなところにあるかと思います。橋脚は見かけ上、全て石に見えますが、中にはコンクリートのケーソンが入っているというのが重要文化財になれなかった
大きな原因だと聞いております。もちろん、この構造により橋脚が流れる心配はなくなりました。もう一つ構造的に面白いところは、ご承知のように普通の木材ですから、全部長手方向に長いことです。普通の石橋であれば、アーチを造る時にはブロック、四角い形で横に積んでいきます。錦帯橋の特徴は、一つの梁部材が約6メートルから8メートルと長いことです。そのためには、毛利元就の3本の矢ではありませんが、1本で伸ばしていくことは難しいため、1本の長さの3分の1ずつずらしています。ずらしていけば、前のめりに落ちてしまうので、3分の1ずつ伸ばしながら鉄バンドで結んでいった。伸ばしながら、先頭と後ろのところに横梁を用意しまして、そこで力を伝える。軸力が卓越するようにずらしていく。ご承知の通り、せん断力は軸力の差で生じます。軸力が通ってくるとずれなくなる。当時の棟梁は、完全には力学が分かっていなかったかもしれませんが、ずれさせれば軸力が卓越することは理解していたのではないかと思います。

アーチ構造の形式

 

 

 

錦帯橋たわみと振動測定

 この部分にケヤキが使われています。ケヤキを使って、ケヤキ材を伸ばしていく。この角度が本質的なので、ここで最初の調整をしています。この部分が一番重要なので、少し大きな部材になっている。できた隙間はクサビで埋めていく。ここもケヤキを使っています。そして、鉄バンドで押さえながら、このように軸力を伝えているアーチです。この辺がずれながら、途中をカスガイで留めている。カスガイは離れを留めているだけであって、軸力の伝達には関係ありません。基本的にはダボ、後梁と鼻梁、こういうところで順番に力を伝えています。カスガイ、鼻梁、桁、巻金、後梁という組み合わせ。ここに後詰木がありますが、3代目ぐらいの橋で完成した部材だと思います。アーチになった時に、ここのところに力を伝えるためには、良い形で圧縮力を伝えないといけないということが分かったのだと思います。その前まではこのように綺麗な形をしていませんでした。図面が残っておりまして、初代の頃はこの部分がまちまちであったので、後から後詰木の効果が分かってきたのではないかと思います。これは橋の表面にヒノキの板を敷くために必要な平均木です。もう一つ特徴的なことは、V字型の鞍木と助木。これは創建時にはありませんでした。カテナリーにすると何が怖いかと言うと、曲がり易いという点です。アーチでカテナリーを造っているため、曲げの抵抗が余りありません。予想では、創建時には数人が歩くと橋が相当揺れたと思います。補剛材によって揺れにくくなったと思います。現在でもこの部材により揺れは少ないのですが、数人で揺らせばすぐに揺れます。カテナリーにしたことにより、非対称の曲げに対しては、この補剛材が必要であったということが特徴だと思います。こちらを振留と言っていますが、橋梁工学的にはこれが少し弱いと思います。ですから今の道路橋あるいは歩道橋の設計基準からすると、この橋で唯一弱いところがあるとすると、横方向の剛性だと思います。今の歩道橋の基準に照らし合わせると少し足りないと思いますが、実際には横方向に大きな力が加わることは無いです。1966年には、渡橋料、お金を取るようになりました。管理は毎朝の清掃を委託しています。今はボランティアかと思います。週一回の巡視、点検をして補修をしています。5年毎の強度試験ということで、たわみ測定・振動計測と腐朽調査を早稲田大学が行っています。過去の流失を考えますと洪水で橋が流れてしまうことが心配になります。洗掘で橋脚の足元がすくわれる。アメリカでも落橋の半分以上は洗掘が原因です。足元が洗掘され、弱くなり、自重で傾いてくるということが自然であるため、木の橋である錦帯橋でも敷石を定期的に点検して、洗掘に注意しています。アメリカではご承知の通り、点検をする時に水の中に潜って行うことがあります。我が国でも、橋梁の基礎等は慎重に見ないといけないと思います。以前相談がありましたが、上部構造がおかしい場合、そこだけを見ている場合が多いです。ところが、ご承知の通り、上部構造を支える基礎があって、さらに地盤の中に入っている見えない部分があります。地盤の中が少しおかしくなると、上部構造に影響が現れることがあります。根元まで見てみないと分からないことがある。これからもこうしたケースが生じるのではないかと思いますので、我々、橋梁専門家
は上部構造、下部構造、土質も含めて色々と勉強をする必要があると思います。定期点検ですが、歩道橋ですのでそれほど難しいことはしません。健全度の調査ということで、たわみと振動の測定を行っています。

載荷試験(岩国高校生・教員)

 今のところ他に良い方法がないと思っています。この方法はボスポラス海峡の橋でも利用されたと聞いたことがありますが、ピアノ線を下から真っ直ぐに伸ばす。これが、メジャーになっています。このところに板を置き、穴を開けて通して歪みゲージを張って測定の時にここに留めます。留めますと、ここが不動点となって、こちらが動くとここが不動点ですからここが曲がる。その曲がる度合いに応じて、1ミリ程度の変位を測ります。残念ながら普通の測量機器では測れません。1ミリ以下のたわみをかなり良い精度で測れます。この方法は私の前任者の堀井健一郎先生が開発された方法です。今年も高校生参加の強度試験を8月12日に行い、岩国市の市長にも橋上に並んで頂きました。岩国高校の生徒に渡ってもらい、実感をしてもらうことが良い体験になるだろうということで、全体の重量約6トンの自重を載せて、たわみを測り健全度を見ました。これは普通の方法だと思います。

 

 

 

 

実橋の強度試験

 

 

 

 

 そして、木の場合には雨水の浸入が大変問題となります。世界中の方が岩国錦帯橋を見に来られます。先週も歩道橋の専門家であるドイツの先生がご覧になってびっくりされていました。普通はドイツでもスイスでもどこでもカバードブリッジにする。屋根をつけます。ヒノキという良い材料をいきなり雨ざらしにするということはないと、建築の先生にもいわれています。本当のことを言うと、使い方としては厳しいのではないかと思います。アメリカでもヨーロッパでも、基本的には屋根をつける。ただ、錦帯橋に屋根をつけると景観が相当悪くなります。木と木の隙間でありますが、スチールやコンクリートに比べて経年変化が激しく、シール材を施してもすぐに駄目になってしまいます。建築でもシール材は窓枠など雨がかからないところに施している。雨が直接かかる所にシール材は向いていないので、世界遺産に向かって、研究しようと考えています。シール材というのは適材適所があるかもしれないと思っています。シール材がない当初はどうしていたか。歴史の本を読むと船大工が建設に携わっています。船大工が関わっていることは間違いなく、板と板との隙間に何かを施している。もしかすると、橋梁分野以外の知識をいただくことが大変重要であると思います。昔、構造力学関係の講演会では、航空、機械等、複数の分野の先生がお見えになっていました。私も若い頃にこのような講演会で発表をさせて頂いて、大変勉強になりました。倉西茂先生のご尊父、倉西正嗣先生から質問を受け、「土木分野ではそんなこと分からないのかね。航空ではもっと進んでいる」と言われ、勉強不足であることを実感しました。そのお言葉を聞き、帰って直ぐに航空の文献を一生懸命調べた記憶があります。もしかすると、我々の分野で分からないと言っていることが、船大工のような分野の方に伺うと、分かるのではないかと期待をしています。
我々の分野だけを見るのではなく、他の進んでいる分野の知識をどんどん吸収するということが必要であると思います。時間が経ちますと、隙間が出来る。隙間が出来て、そろそろというところで平成の架け替えが始まりました。アカマツ、ヒノキ、ケヤキ、ヒバ、クリ、カシという全部で6種類の材料を用いています。410立米ということで、木材家屋40軒分。材料費約12億円です。1991年からケヤキの苗木を植樹し、地元の木を使うという風に変わってきています。これを機に、これまで一度も行っていなかった載荷実験を東京大学の建築の坂本功研究室と私の研究室で行いました。土のう一袋25キロを2400個、60トン分用意しました。普通の載荷実験は6トンであるため、その10倍で、千人分に相当します。
 もちろん、千人載っても、カテナリーとなっていますので問題はありません。半載荷重では厳しいのですが、満載なら問題はないということで、一つずつ部材を取り除いていきました。これは解体実験と呼ばれるもので、大変勉強になりました。合わせてそれぞれの材料の圧縮強度、引張強度、曲げ強度、せん断強度について、鋼材を含めて調べています。
   圧縮強度が基本だとすると、ケヤキは基準値43に対して60(N/ mm2)、マツは40に対して48( N / mm2 )、ヒノキは42に対して33( N /mm2)とそれぞれの強度が出ている。50年近く経ったものでも、ほとんど強度が落ちていません。これは大変素晴らしいことだと思います。スチールにつきましても、普通に強度試験をしますと、どうも現在のSS400材と同じようなものが使われていて、カスガイ、帯鉄、巻金というものまで含めて全て健全であるということで、このような構造が可能であるということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 FEM解析を用いて計算すると、半載の時に変位が大きくなります。解析結果と比べてみますと、ぴったりとは合いませんが、実験値と解析値で比較しますと、60トンの満載でもだいたい合ってくるということですが、これが正しいかどうかは、未だによく分かりません。連続体としてモデル化いたしますと、どこかで平均化をしないといけない。それではまずいだろうということで、何をしたかといいますと、部材一本一本全部モデル化しました。それから部材と部材のずれ止めであるタボという部材もモデル化しました。巻金も全部モデル化して、やっと計算が出来るという段階を迎えました。それでも余り合わないという点が大変でした。理由は、この桁の歪みを一日計測しますと、実験中、解体時と何かあると歪みが大きくなるのですが、数時間後に歪みが元に戻る。私は生きていると言っていますが、形が変動しています。陽の当たっている時、日陰になる時、歩いて振動をしている時、常に動くのですがやがて落ち着いていきます。コンクリートや鋼材に比べて、生きている度合いが高いと思います。私の父親は大工だったので、住んでいた家は父が造りました。南側に使う木は山の南側に生えている木を、北側に使う木は山の北側に生えている木を、ということが父親の自慢で、20年経っても襖がすっと開いた。木は熱によって形が変わるので、南の木、北の木ということで使い分けをする。構造物が生きているという風に考えますと、複雑な木組構造が局所的な応力を徐々に分散させている。トラスで応力を計測してもかなり温度の影響があります。そのことを考えると、我々は環境の違いを考えないといけないと思います。これは解体時の写真ですがこのぐらい腐朽をしていても、全く問題なく人が渡れます。

腐朽調査

 これが先ほど言ったカテナリーの理由なのです。この腐朽部分を避けて、圧縮力が流れている。生物の強い所か、あるいは棟梁の優れた所か分かりませんが、一部が腐朽しても圧縮力が流れている。部材数が多いことも関係していると思います。錦帯橋のような構造物を鋼の橋、あるいはコンクリートの橋、合成構造の橋で出来ると良いと思います。何かあっても力が伝わる。いわゆるリダンダンシーです。荷重の伝わる経路が一つではない。引張材一本ですとそれが切れると終わりですが、圧縮力の場で、他の所に力が流れるようにして、バイパスができるという構造がどうも良いのではないかということが、この錦帯橋で分かりました。
  逆に木の場合、割れが生じる心配があります。 これが先ほど言ったカテナリーの理由なのです。

木材特有の釘による割れ

円曲線(設計図)

 

 これは釘を打ったために割れました。こういう現象が木では起きる。 これは円曲線の図です。
 もちろん、この時代は規矩術という江戸の測量技術があり、クジラ尺というものがあって円曲線は使われており、当時の棟梁は知っていました。最初円曲線のような形状で造ったということは間違いないと思います。それがやがてカテナリーに変わっていった。現在、用材倉庫で木材を管理しています。釘については、今回、和釘という千年保つ釘を使っています。これは白鷹さんという薬師寺の釘を作成した方が作られた釘であります。3万本も使っています。残念なのは、白鷹さんが作っている千年保つ釘の仕事が発注されない、仕事がなくなってしまうということです。橋梁の技術というのは、誰かが伝承しないと、良い技術は無くなってしまうのではないでしょうか。継ぐ必要があります。錦帯橋ではそういう意味で決心をして、20年毎に元気でも架け替える。要するに造る方法を伝えるために架け替えるという方針を出しました。大変良い決断をして頂いたと思っています。部材は創建当時から、人間が運べる程度で
すから六寸角ぐらい。180ミリの167ミリ。あと、神社仏閣の柱のサイズを見て造られたと思います。それから、ずれ止めのダボというものが使われています。もちろん木ですから、隙間が出来るので通常では、ずれて動きます。危なくなるとこの部材が効くのではないかということも、力学で確かめました。この接合部に色々な工夫がなされており、建築分野の棟梁のテクニックがそのまま使われています。土木分野で使われない接合方法が随所に見られます。ジャッキは、昔は無かったものなので相当大変であったと思います。鉄のバンドである、巻金で形を保っています。棟木ですが、どうも見てもキーストーンという位置づけであります。この橋がアーチである。眼鏡橋を見てきて、キーストーンというものがあると知っていた。真ん中に少し大きめの部材でがちっとしたものを入れて、アーチを形成する。これを大棟木と言います。棟木をぴたりと納めることができる人を棟梁ということで、これが棟梁の始まりのようです。私が何回岩国の棟梁に会って聞いても未だに教えてくれません。橋梁の図面がありまして、コンクリート橋でも鋼橋でも同じなのですが、錦帯橋にもあります。この橋の形状が円からカテナリーに変わります。変わる時に木材ですので、クリープ、乾燥収縮もあり、寸法が変化をするのです。一番典型的なことは、ノコギリで切った瞬間に長さが変わる。1メートルのものを半分にすれば、切ったところが減ります。長さが変わるということで、実際には長めに造ります。その量が口伝です。棟梁から次の棟梁にしか教えないと伺いました。計算をしても残念ながら分かりません。

「弱点」(キーストーンから次の所の一番上)

 この写真を見て頂ければお分かりの通り、キーストーンから次の所の一番上、この橋の弱点はここだと思います。昔の大工は分かっていたかと思いますが、大きな力がかかる所で、これだけホゾを刻んでいて、剛性が変化しています。ここで軸力に変えないといけないということを分かっていたわけです。そのためには、隙間が出来ると終わりなわけです。こうしたことを口伝に従い大きめに決めたというのが、一番の理由だと思います。それが出来ますと、後は巻金を付けていきます。形の秘密は円曲線であったものが、一年、二年、三年ぐらいでカテナリーに近づくと思います。一年目でかなり沈みます。
   これは橋板で、人が歩くための敷板です。
  それからこういう所にカスガイを打ち、部材間の分離を防いでいるだけであります。これが先ほど申しました鞍木というトラス形状の補剛材です。これによって、振動を防ぎ、これは振れを少なくします。あと、木造の専門家でありますので、水回りに気を遣っています。例えば桁の上端部は、カバーをして雨の対策を行っています。

「和釘」(千年もつ釘)

「下から見ても美しい」

 和釘のすごいところは、ヤング率が普通のスチールに比べると、ずっと小さい。節の所を避けて釘が刺さりますので、割れが生じない大変素晴らしい釘です。実際にヤング率を測りました。普通2.1×106、単位がkg/cm2ですが、そういうものに比べてずっと小さくなるということが実感できました。そして高欄の剛性。高欄のあるなしでどれだけ違うのでしょうか。14パーセントも剛性に寄与していることが分かりました。これが全て完成したところです。すごい所は市民の総意で出来まして、全部で26億円のうち、補助金が4億円。あとはほとんど渡橋料収入です。もし、年間100万人が渡橋したとすると毎年約3億円の収入ですから(入橋料:現在300円)、ちょうど20年で造り直せる計算です。理想的なことだと思います。特徴ですが、木造アーチでは世界最長であります。桁を迫り出しながら組み立てる。圧縮力が一様になるようにカテナリーで工夫をしている。それから、鞍木、助木という補剛材を用いている。芸術的とも言える構造など独創性が高いと思います。我々が役に立つとすれば、技術の伝承と人材の育成を一生懸命考えていて、架け替え間隔を20年としている点です。これは技術の伝承と木材の有効利用を両立させるために、古材を使いながら20年毎に一橋ずつ変えることになります。錦帯橋用の備蓄林を造って、そこの木を使う。そして、一人300円の渡橋料によって、架け替え及び維持管理費を捻出している。それから木については、堅い木、柔らかい木を適材適所に使っています。それがカテナリーを造る理由であります。最後に、この錦帯橋の素晴らしい所ですが、下から見て美しいこと。橋梁の見学に行きますが、下から見て美しいものはあまり多くありません。

「影が美しい」

 2つ目は、影が美しい。ライトアップがあるともっと綺麗です。影が美しいというものは、この橋以外では余り無いのではないかと思います。

「敷石が美しい」

 3番目ですが、上から見た時の敷石が美しく見えます。上から見ても、下から見ても、色々な角度で見ても美しい。

結びになりますが、スクラップアンドビルドは文明の技、メンテナンスは文化の技だと思います。文化が無い所ではメンテナンスが醸成できないのではないか、やはり橋を愛することが大事です。それから匠の技は無形の文化財ですが、無形の文化財についても市民は確実に財産として受け継いでいる。技術遺産というものがあるのではないかと思います。目に見えない技術遺産でも、世界遺産というものがあるのではないかと委員会では話しをしています。最後になりますが、世界遺産になることを念願しています。単独の橋で世界遺産の橋はポン・デュ・ガール、水道橋です。ビスカヤ橋はスペインにあるスチールの橋で、ゴンドラを運んでいます。そしてドリナ橋というノーベル文学賞の作品で引用されているボスニア・ヘルツェゴビナの石橋、現在、この3つしか世界遺産には登録されていません、錦帯橋を世界遺産にと思っていますが、なかなか難しいものがあります。錦帯橋では橋を愛してもらう、愛していくことが大事であると思います。素晴らしい橋を造って、多くの人に愛してもらい、見てもらえれば、その橋は元気になると思います。証拠に動物は愛して飼うことにより、50パーセント寿命が延びることがデータに出ています。橋も皆が愛せば100年保つ橋が150年保つことになるのではないかと思っています。錦帯橋は長生きをしておりますが、普通の橋もこれからそうしたいなと思っています。以上で私の講演を終わらせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
 


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